2018年03月16日

よそ見わき見気まま旅―最終回―ただならぬ山



◆故郷・山口県下関の親友〔中村佑君〕のー
~『よそ見わき見気まま旅<中山道旅紀行>』~
   ★いよいよ最終回を迎えました。
☞いつ頃からだったかは定かではないがー、
確か第12回からだったか?
38回<3年と2ヶ月に亘って紹介してきたこの
旅紀行も終わることになった次第!
 彼が辿った中山道周りは私の住まいとはいつも
ニヤミス~霞めて通っていた所だった。
奥方との車旅だったとは羨ましい限りで、
事故なく完破できたことを喜ばしく思う次第!


   第50回〔最終回〕  中山道(妙義山)

        ただならぬ山


 追分を出た菊舎は中山道を外れると、

ネギで有名な下仁田をかすめて妙義山に向かいました。

そして詠んだ句が「たゞならぬ山つゝ立て秋の雲」

道が登りにかかり大きくカーブして目の前に

突然現れたのは、まさしくただならぬ山でした。

気ままな一人旅を続けてきた私も余りの威容に思わず、

何じゃこりゃ!と叫んでいました。

 奇形、怪形、妖形、珍形、畏形。

どう表現をすれば良いのか困ってしまう山容ですが、

矢張り菊舎の7文字、ただならぬ山、が最も端的に

妙義山の姿を表しているようです。

 妙義神社を参詣した菊舎は安中で中山道に戻り、

くらがの、熊谷、桶川、蕨を経て江戸に入ります。

道はかつての中山道ではありますが、

現在は近代化された町並みと激しい車の行き来に

気ままな旅人はうろたえるばかり、

全てに思い通りにならず、洪水のような車の流れに

押し流されて日本橋に着いてしまいました。
 
このコーナーも50回を数えるのを機に、

一旦ここらで終着とさせていただきたいと思います。

永のお付き合い心より感謝申し上げます。再見!

 (中村 佑)    2018年3月1日


▼最終回のお別れに~

中村佑君の最近の作品をご紹介させて頂きます!









  

Posted by あづみのきみ麻呂 at 14:44Comments(1)フォトエッセーbyTasuku・T

2018年02月25日

あの娘は今、何処にどうして・・・




◆あの娘は今、何処にどうして・・・
 
 2月9日に平昌<ピョンチャン>オリンピックが開幕した。

開幕直前になって北朝鮮が出場すると言い出し、にわか作り

の南北合同チームが開会式に入場行進も行った。

北朝鮮はこれまで人身拉致をはじめ核開発、ミサイル発射実験など

先軍政治の下に、国民生活など省みない独裁国家であった。

 そんな心配ばかりが付きまとう北朝鮮だが、私には忘れられない

中学生の頃の思い出がある。

昭和30年代、日本も協力して北朝鮮への帰還事業が行われていた。

故郷・下関市は昔から「関釜連絡船」で朝鮮半島との往来が盛ん

だったことから在日の人々が多く住んでおり小中学校でも席を

同じくしていたり、友人も多かった。

 中学三年生の時だった。秋の学芸会に、演劇部のプログラムとして「青の洞門」

(原作は「恩讐の彼方」)という劇を演じることになった。

当日は受けに受け、私が演じる武士に大向うから当時の大スター・中村錦之助

ならぬ、中村銀之助!の声が掛かるほどで、下関市の「みなと新聞」という

地方紙が報道するほど話題になった。

手前みそで恐縮な話ではあるが、学芸会後は私自身の人気も沸騰。

下校時間などでは女生徒達に囲まれたことがしばしばあったものだから、

芸能界にすすめば成功するのではないかと思ったのがその後の勘違い人生の

始まりとなった。映画スターを目指したが役者にはなれず、製作スタッフで終わった。


 
 そんなある日のこと、我が家に一人の小女が3,4Kもの道程を歩いて訪ねてきた。

学校で女の子の集団に囲まれたことがあった中の一人だった。

北朝鮮出身の両親とともに北へ還るのでお別れに来たのだと言う。

最後に一言「好きやったよ」と、言い残して帰って行く後姿が何故か寂しげだったこと

が今も忘れられないでいる。生きているなら75歳になっているだろう。

 当然ながら消息など判らないが、開放政策がすすみ、平和が戻った北で幸せに

暮らしていることを願わずにはいられない気持ちなのである。
  

Posted by あづみのきみ麻呂 at 15:24Comments(0)時事批評

2018年02月20日

安曇野の野辺にも春の声




◆信州・安曇野の野辺にも 

やっと春を告げる草花が顔を

出して来てくれています!




▲春一番に姿をみせるオオイヌノフグリ;

▼春告げ花と言われるのが❝福寿草❞です。








◆今日<2・20>は三日連続のアルプス晴れの

安曇野から春の模様をお届けしました!





  

Posted by あづみのきみ麻呂 at 14:45Comments(0)安曇野の自然

2018年02月06日

平〔ピョンチャン〕昌五輪に想う!



◆韓国『平昌五輪」に想う!!


 
2月9日から韓国に於いて冬季五輪が開催される。

北朝鮮が参加するというので、

ここに来て、北と南の雪解けムードが演出される中で

昔、フォーク・クルセーダスが唄った♪イムジン川を

想い出して複雑な感情が胸を過った。

イムジン川はただの、何処にもある川だが―

一つ違うのは、1950年に勃発した〔朝鮮戦争〕によって

同じ朝鮮民族が北と南に、イムジン川を挟んで引き離された―

という悲劇が起こったことなのだ。




▼♪イムジン川の歌詞はその悲しい過去を謳っている―

北の大地から 南の空へ 飛びゆく鳥よ 
自由の使者よだれが祖国をふたつにわけてしまったの 
だれが祖国をわけてしまったの

イムジン川空遠く虹かかっておくれ 
川の思いをつたえておくれふるさとをいつまでも
忘れはしない 
イムジン川水清くとうとうとながる

あたらしく付け加えられた歌詞は
イムジン川春の日に 岸辺に花かおり 
雪どけ水をえて北と南を結ぶ
ふるさとの歌声よ わたる風となれ 
イムジン川とうとうと青きうみにかえる。

いつともしれぬイムジン川に象徴される隔たりが早くなくなってほしい、

その思いを込めて、フォーククルセダーズのメンバーが

新しく付け加えたこの歌詞を、コリアの人にも

分かってほしいとも説明がありました。

今は2018年2月です。          
  

Posted by あづみのきみ麻呂 at 15:17Comments(0)ざれ言!?

2018年02月01日

終の棲家 安曇野慕情!




◆終の棲家 安曇野慕情


降る雪や/明治は遠く/なりにけり
そんな雪で明けた今年の正月に想ったことは、
あの構想はどうなってしまったのか?
という感慨でした。安曇野地域の五ケ町村が
合併して出来た安曇野市が誕生して早や13年
が経ってしまいました。
 
私は平成12年に安曇野へ関東から移り住んで
きた所は常念岳の三角錐が正面に見える堀金村でした。
広大な田園風景の先に北アルプスが南北に横たわる
風光明媚な自然いっぱいの村でした。
移り住んで間もなく周りに、飲料水メーカーの
大型工場や大型量販店などが立ち始めました。
映画人として全国をロケ旅で周る生活を終えて
移り住んだ所は、それまでに見たことのない独特な
景観が崩れていくのではないかとの不安が胸を過る
ようになりました。
 
移住3年後に合併話が持ち上がりました。
安曇野の自然遺産を守り育むためには一人だけでは
無力だとの考え、合併協議会が立ち上げた
「新市将来構想策定委員会」に民間人として
応募しました。
安曇野地域で初の住民会議が7ケ月間に亘って
開かれました。未来の安曇野づくりに私は必死でした。
夢と希望を懸けて住民の熱心な議論の結果、
〔住民と行政の協働〕を基本にした構想が策定されたのです。
町村政の首長さんからも「市づくりのバイブル」と評され、
県内外からも絶賛される新市将来構想が策定されたのです。
 合併協は「法定合併協議会」に格上げされ、
いよいよ安曇野市合併構想が本格化していきました。

私は堀金村の各自治会へ協議会委員さんと共に周って将来構想の
説明を行いました。村の「まちづくり協議会」にも事務局長として
関わったり、広報堀金に新市将来構想の図解説明なども頼まれて
出したりして合併推進に必死で取り組みました。 





ところが、間際に行われた五ケ町村(穂高町・豊科町・明科町・三郷村・堀金村)
ごとの合併賛否を問う住民アンケートで、穂高町だけ
合併反対が賛成を上回る結果が出たのです。
4町村だけで合併か?大きな岐路に立たされたのです。
そして、出された結論は住民投票で再度、賛否を問う。
1週間の住民投票選挙戦に、堀金住民の私も関わり必死に
活動しました。

「穂高町合併推進住民大会」のコーディネーターにも
推薦を受け、穂高会館に700人強が集まった中、
参加者によるリレートークのMCを務めたのでした。
投票結果は、投票総数26101票(投票率69.15%)、
賛成9,124票。反対8,775票、354票の僅差で合併が
決まったのです。 

こうして、2005年10月1日、新安曇野市が誕生したのですが、
13年経た現在の安曇野市はと問われると果たして計画どおりに
市づくりが進んで来たとはとても思えない状態でしょう。
それが、とても悲しい現実の今です。
  

Posted by あづみのきみ麻呂 at 16:11Comments(0)現代安曇野事情

2018年01月31日

フォトポエム@北風と太陽



★北 風 と 太 陽★

☆冷たく強く吹く北風が雲をはらって 常念山脈と
その向こうの白馬三山まで 美しい姿を魅せてくれた/

ありがとう北風君 君は誰にも冷たく当るから/
みんなの嫌われ者 そんな北風だけど 君の力がなければ/
こんなにも近く くっきりとした山容を 観ることなど/

       /できないんだ/

☆なのに 太陽が出てきて 冷たい風を暖かくしてしまう/
すると それは霞となって 山をベールで包んで/

     /観えなくしてしまった/

 太陽君 そりゃあないよ イソップ童話じゃあないんだから/
☆それでも 夕刻、太陽が沈むはじめると/

     /北風が盛り返して/

 紅く映えた綺麗な山並みを 再び見せてくれるではないか/
それは 北風と太陽の見事なハーモニー/

    /だから朝よりずうっと美しい/

けど 太陽が沈むと 北風がどんなに吹き荒れても/
山は真っ暗闇に包まれて まったく見えなくしてしまう/

☆やっぱり/太陽君の力は偉大なんだ/

   /さっき文句言ってごめんナ/
 /人間って実にご都合主義なんだなあ・・・/
  

Posted by あづみのきみ麻呂 at 11:25Comments(0)フォト・エッセー

2018年01月26日

松本タウン情報・読者エッセーに載る!




▲信毎・中信の折り込み紙「松本タウン情報」の~

読者エッセー欄に私の投稿文が掲載されたというニュース!

☞お題は「はしだのりひこさんとの縁」:...



  

Posted by あづみのきみ麻呂 at 15:29Comments(0)思い出噺

2018年01月25日

安曇野からこんにちわ!



◆安曇野からこんにちわ!


雪が少ない年だったんだが、

1月22日、とうとうドカ雪が安曇野他~

関東甲信越地方を襲ってきた!

23日朝には、草津の白根山が噴火したという

ニュースが伝わって来ている!

これから、再び寒波襲来だという。





▼雪景色だけは、観ているだけだと綺麗!!

南国育ちの私には浮き浮き気分だ。
  

Posted by あづみのきみ麻呂 at 16:04Comments(0)安曇野の自然

2018年01月08日

平成最期の年に??

常念岳モルゲンロート



今年の正月は実に感慨深い年明けとなりました。

平成天皇が今年度末の4月30日退位、

5月1日新天皇即位・改元されるという歴史的な変化の年です。

ひたすら国民に寄り添って来られた天皇皇后の献身的なご活動には

言葉に尽くし難いものを感じるところです。

比較的平穏な時代の流れが一変したのは

何といっても「東日本大震災」でした。

被災地へのお見舞い訪問も回数を重ねられました。

被災地の方に与えた勇気と希望は計り知れないものがあったものと思います。

加えて、平和を守る精神を引き継いだ天皇は先の大戦で大きな被害を被った地へ

の訪問も公務の間をぬって行われ平和の尊さを身をもって示めされました。

そこへ持ってきて安倍政権の登場によって積極的平和主義の名の下に、

ともすると平和を脅かしかねない改憲論争が活発化しています。

以後、天皇陛下も折に触れて、ご心配するかのような発言を始められました。

退位の意向を述べられた「お言葉」の中にも

平和希求の願いが込められていたように感じました。

安倍政権は今年、改憲論議を活発化させ国民投票に持って行くとしています。

73年間に亘って平和な日本を憲法改正によって

戦争に再び手を染めるような国にしてはなりません。

天皇陛下が安心して退位されることを願うばかりです。




  

Posted by あづみのきみ麻呂 at 16:36Comments(0)世の中の話題

2017年09月11日

11年目の正直@信濃グランセローズ優勝!



◆11年間待ち続けていました!!

~まさに、ファンが待ち望んでいた悲願達成!です~

小諸南城に集まった真のファン1157人が抱き合って~

喜びを爆発させました。

❝優勝❞という二文字がこんなにも感動を呼ぶものか?

11年という歳月がそれを増幅させたのかも知れない?!







  

Posted by あづみのきみ麻呂 at 18:06Comments(0)信濃グランセローズ