2017年09月07日

10年ぶりの松本タウン情報??

◆今回の掲載は10年ぶりかも知れません?
当時、タウンの担当者の方が某日の投稿が二重投稿だと言い、
以後、私の投稿は全て二重投稿者のブラックリストにし、
掲載してくれなくなってしまいました。
私にすれば、ネット時代になってから、自身のブログに投稿した
のが担当者は二重投稿だと決め付けるところとなってしまいました。
担当者が替わったのでしょうね?で、刑務所から御勤めを果たし
やっと出所と相成ったと言うことでしょう(笑)

 「石原裕次郎記念館」閉鎖のニュースを知り~一時代が終わった
なあ?という感慨が湧いてきて石原プロに関わったからこその―
とって置きの裏話を思い出話しとして書いたという訳です!

▼これまでもご紹介してきた、イラストレーターの〔福澤 誠〕さんと
一緒に掲載されたのも❝縁❞だろうなあと思いました!



  

Posted by あづみのきみ麻呂 at 14:53Comments(0)映画・TV批評・話題

2017年08月28日

よそ見わき見気まま旅―45回「諏訪湖」―




◆故郷・下関の友・中村佑君の旅紀行―第45回「諏訪湖」:

 諏訪といえば諏訪大社。

そして何よりも御柱祭が有名です。

ただこの祭りは、寅の年と申の年にしか行われない式年祭のため、

気ままに出掛けても観ることは出来ません。

だけどいつでも優しく迎えてくれるのは諏訪湖です。

 地殻変動で地表が引き裂かれて出来た信州一の湖です。

気ままな旅人が訪れた4月の湖は、

ひねもすのたりのたりかな、という風情でした。

しかしこの穏やかな湖が冬季、湖面全体が凍結した激寒の夜、

激痛に耐えかね突然悲鳴をあげると教えられ驚きました。
 
湖面を覆った氷が、夜になって気温が下がると

一気に凍結が進んで膨張します。

すると膨張の限界を超えた氷は激しい音を発てて割れ、

盛り上がるのです。

その高さは50cm~1mにもなり対岸まで続くそうです。

御神渡(おみわたり)と呼ばれています。
 
写真の諏訪湖はとてもそのような激しさを隠しているようには見えません。

沖合にゆったり浮かぶ像は八重垣姫のブロンズ像です。

上杉謙信の娘ということになっていますが、

架空の人物です。浄瑠璃に登場するそうです。
 
八重垣姫が、白狐の力を借りて氷った諏訪湖を渡った話が

像の由来だとか。

湖面に浮いたように設置されているのは

そういう訳があったのですね。

 (中村 佑)    2017年7月17日
  

Posted by あづみのきみ麻呂 at 15:56Comments(0)フォトエッセーbyTasuku・T

2017年08月12日

原爆直後の長崎の街で―完結―



▼戦後日本は戦争のむなしさと悲しい戦争被害を反省し、
二度と戦争を起こさないとの不戦の誓いを
憲法(第9条)の中で謳った。
そのお陰で日本は約70間、一度も戦争を行わなかった。
が、しかし、不戦の誓いは体験者の高齢化とともに
風化しつつあるのも事実だ。
 今こそ、その時代に生き、戦争を体験した人々の話しを、
我々が出来る事の一つとして語り継いでいくことが
平和を守り戦争に反対をしていく道で はないか。
****************************
◆昭和19年~20年にかけて、御国のために と、
少年飛行兵に志願 したが終戦となり、志を果たせなかった
中学生の男の子(私の次兄=現在83歳)の戦争被害体験談を
4回連載してきた。       
その最終章【4話】である。
◆山口県・下関市在住
 深堀 敞(男・86歳<17年現在)原作:
 木下俊美編集:
『原爆直後の長崎の街で』
 ④廃墟と化した長崎市街で~
⇒少年飛行兵に志願、合格していたのに通知が来ないまま
 終戦の日を向かえた。玉音放送をラジオで聴いた。
 巷では様々な憶測が流れていた。
 その一つに、長崎に新型爆弾が落とされ相当の被害が出ている。
 長崎には母方の両親兄弟が住んでいる。
 身を案じて行って消息を確認するしかないということで、
 次兄と父親が行くことになった。原爆から2週間後の事だった。
⇒下関から諫早までは汽車が走っていたが
 その先は通行止めになっていた。
 諫早の父親の実家へ歩いて着き、翌日、さらに歩いて長崎の街に
 着いた街は悲惨を極めていた。
*******************************


 
叔母のえきさん宅を後に、急ぎ、母の実家・深堀家を訪ねた。
道中には、幾人もの人がやけどを負い、
そこにはハエが止まっているのに払う気力もないのか?
うずくまったままで・・・。
しかし、哀れみをもって見過ごさざるを得なかった。
 母の実家もひどく、祖母と孫の四女が、畑で全身やけどを負って即死。
長女が学校動員先の工場で、弟の嫁も畑で亡くなったという。
この時点では、家の中に居て助かった次女と三女は
その後、諫早の親父の実家に移り住んだ。
が、ひと月たらずのうちに高熱に侵され、
頭髪の全てが抜け落ちてしまい、
医者にもかかれず姉妹ともなくなったと、後で分かった。
 その時は本当に、この世には神も仏もいないものかと天を恨んだ。
結局、深堀家は、店の品物を仕入れに行っていた
長兄の嫁一人が生き残り、下関に住んでいた母と疎開していた
末の妹は難を免れた。
そして、蚊帳の中に横たわっていた田川八千代さんも
あの日のうちになくなったと、後で聞かされときは、
がく然として、可哀想でならなかった。
 当時は、何故?長崎、浦上を狙ったのか?
キリスト教国のアメリカなのに、と恨んだものだ。
しかし、戦争とはそんなものなのだ、
とあきらめざるを得ないのが人間社会かもしれないと、
思うようになった。
    ― 完 ―



  

Posted by あづみのきみ麻呂 at 14:05Comments(0)時事批評

2017年08月10日

8月10日の記事




◆先ごろのことですが、

~イラストレーターの福澤誠さんから~

下記のような風刺イラストの暑中見舞いが来ました!

松本在住のイラストレーターから何故か私目のような

後期高齢者へお葉書を頂くなんて…嬉しいことです!

▼右が暑中見舞いで、左は松本タウン情報に掲載されたー

 『風刺イラスト』<17・8・5>掲載です!!


▼盛夏!暑中お見舞い申し上げます!



  

Posted by あづみのきみ麻呂 at 14:23Comments(0)

2017年08月03日

感動!我が人生初の富士山行;



▲人生初の富士山へ!!


▼富士山五合目から、

一瞬の晴れ間に見えたピークでしたが

再び雲に覆われてしまい、

残念ながらとてもピークへは登れず仕舞いでした!

が、人生に悔いなし(笑)という事で、5・8合目で断念し、

下りました!

~来年、六合目挑戦の誓いをして下界へ戻ってきました。





◆富士山五合目~六合目を目指すも・・・??

~奥庭散策コース<2.6k、約2時間>・昼食後~

6合目目指して行ける所までと出発した。

山は急変すると言うがまさに、その通りで・・・

▼6合目手前で遭った5人の女性グループにー

この先の状態を訊ねると、「この先は路面状態は一変」

すると、ゴロゴロ石の道で雨で濡れているので滑る。

―で、無理はしないと決断!

断念して下ることにした次第!

~5・6合目といった地点だったか?

しかし、充分満足だった!

▼75歳と64歳の老人夫婦の山行きだもの・・・?

そう想った途端、込み上げてきた。

~共に苦労してきた人生~この齢になって揃って―

日本一の富士山にこれたこと自体、感動・感激・感謝!



  

Posted by あづみのきみ麻呂 at 16:35Comments(0)旅行・観光

2017年07月21日

中村佑旅紀行「よそ見わき見気まま旅・第45回」:




◆第45回 中山道(下諏訪):

 諏訪といえば諏訪大社。

そして何よりも御柱祭が有名です。

ただこの祭りは、寅の年と申の年にしか行われない式年祭のため、

気ままに出掛けても観ることは出来ません。

だけどいつでも優しく迎えてくれるのは諏訪湖です。

 地殻変動で地表が引き裂かれて出来た信州一の湖です。

気ままな旅人が訪れた4月の湖は、

ひねもすのたりのたりかな、という風情でした。

しかしこの穏やかな湖が冬季、湖面全体が凍結した激寒の夜、

激痛に耐えかね突然悲鳴をあげると教えられ驚きました。
 
湖面を覆った氷が、夜になって気温が下がると

一気に凍結が進んで膨張します。

すると膨張の限界を超えた氷は激しい音を発てて割れ、

盛り上がるのです。

その高さは50cm~1mにもなり対岸まで続くそうです。

御神渡(おみわたり)と呼ばれています。
 
写真の諏訪湖はとてもそのような激しさを

隠しているようには見えません。

沖合にゆったり浮かぶ像は八重垣姫のブロンズ像です。

上杉謙信の娘ということになっていますが、

架空の人物です。浄瑠璃に登場するそうです。
 
八重垣姫が、白狐の力を借りて氷った諏訪湖を

渡った話が像の由来だとか。

湖面に浮いたように設置されているのは

そういう訳があったのですね。

 (中村 佑)    2017年7月17日


  

Posted by あづみのきみ麻呂 at 15:38Comments(0)フォトエッセーbyTasuku・T

2017年07月14日

焼け野原の記憶




◆私は山口県の下関という所に生まれ育った。

5歳の夏、終戦を迎えた。

戦争末期には毎日のように昼夜の別なく空襲警報が鳴り、

昼間なら家の縁の下に造った防空壕に、

夜なら親からたたき起こされ、

着替えさせられ地区の防空壕へ避難した。

入口には2,3人兵隊服を着た大人が立っていた。

その間から見上げた空には、

機体の前後にランプを付けた飛行機が何機も飛び交っており

三菱彦島造船所から高射砲が打ち上げられるが、

飛行機のうんと下で弾けて落下してしまう。

下関市内の空は焼夷弾が落とされ

真っ赤な空になって見えた。

子どもの目には花火のような光景に映った。
 
終戦の日以後は静かな街に戻った。

ある時、5歳の私がどうやって住まいから10キロも離れた

下関の市街地まで歩いて行ったのかは

記憶は定かではないが、

歩いて見て回った焼野原と化した街の光景は

頭の中に鮮明に残っている。

戦後は衣食の心配が待っていた。

ほとんどの物資が配給だった時代で、

6人家族の家庭には酷な食糧状態だった。

衣服も配給だった。

或る時、私が引いたくじが当たり喜んでいると、

長崎生まれの母から「なんで当たるとね。

只じゃなかとよ、この親不孝者が」などと言って怒られた。
 
両親と遠くまで食糧の買い出しに行ったこともあった。

食糧統制の時代だったから、

その帰りの汽車が検問に遭うこともあった。

捕まるのを恐れて、闇みで仕入れた物資は

全部汽車の中に置いて身体だけで

逃げ帰るのがしばしばだった。
 
長崎原爆の一年後に母に連れられ行った

長崎市内の焼野原も、迷子になった門司の焼け野原も

はっきり記憶に刻まれて残っている。

好き嫌いの多い栄養失調でやせ細った私の戦後は、

さまざまな場面で貧血で倒れたりしていた。

子ども心にも過酷な時代だと思っていた。

あれから72年。縁あって信州に腰を据え、

今日の平和な日本を人一倍、

有り難く肌で感じて生きてる。

少々雲行きの怪しさも感じるが、

平和が続くことを強く、強く願っている。



  

Posted by あづみのきみ麻呂 at 17:51Comments(0)フォト・エッセー

2017年07月04日

自民歴史的大敗(東京都議選総括)!




◆東京都議選私の総括<独白>:
―(一部朝日新聞社説より引用)―
 東京都議選は自民党の歴史的な大敗に終わった。
当然の結果だと思う。
小池百合子都知事への期待が大きかったのだろう。
ただ自民党の敗北はそれだけではないと思う。
安倍政権のおごりと慢心に「NO」を告げる、
有権者の審判と見るほかない。
「安倍1強」のゆがみを示す出来事は枚挙にいとまがない。
 森友学園や加計学園の問題では、首相自身や妻昭恵氏、
側近の萩生田光一官房副長官らの関与が問われているのに、
説明責任から逃げ続けた。
そればかりか、野党が憲法53条に基づいて要求した、
臨時国会の召集にも応じようとしない。
 国民の賛否が割れる「共謀罪」法を、
委員会審議を打ち切る異例のやり方で強行成立させた。
民主主義の根幹である国会での議論を、
数の力で封殺する国会軽視にほかならない。
閣僚や党幹部らの暴言・失言も立て続けに起きた。
最たるものが、稲田防衛相が都議選の応援演説で~
「防衛省、自衛隊、防衛大臣としてもお願いしたい」と
支持を呼びかけたことだ。
稲田氏はこれまでも大臣らしからぬ答弁や失言を
連発してきている。
 次々にあらわになる「1強」のひずみは最早容認は限界だ。
ここに至っては臨時国会を速やかに開き、
しっかりした説明責任を果たすべきである。
  
  ☞~T H S IS A・S~敗因~
  

Posted by あづみのきみ麻呂 at 16:05Comments(0)時事批評

2017年06月21日

安倍よ国民を馬鹿にするな!!




◆何をそうお忙しくなさるか政治家と官僚諸氏よ!と、

言いたくなるような今国会が終わった。

安倍首相の政治姿勢は全くおかしなものと思うが、

国会論議も笑いたくなるような可笑しさであった。

「忖度」(そんたく=斟酌)という流行り言葉が出来たし、

官僚の答弁では、文科省の職員の存在について問われると、

「同姓同名の職員は実際におります」と真顔で答える担当者に、

思わず吹き出してしまった。

怪文書だと言っていた官房長官が見付かると記者からの質問に、

「あの時の感想であって今は怪文書と言う言葉が独り歩きしたという事」などと、

行政の重責者とは思えない答弁には開いた口が塞がらなかった。  

今国会の論戦は一口に言って、

与野党ともに一方通行の質疑だったと言わざるを得ない。

政権は時間だけ費やすばかり。

森友や加計疑惑は先延ばし。

法案の説明責任も果たさないまま終盤には聞いたこともない「中間報告」という、

委員会採決を省略するという奇策を使って

本会議で実質強行採決してしまう謂わば「行政独裁」と化した安倍政権には

国民を馬鹿にした政権イメージだけが残るものだった。

閉会中審査という耳慣れない制度の有ることも知った。

3分の2の勢力を誇る政府与党には

国民の疑念に正々堂々と説明責任を果たして欲しいものだ。


  

Posted by あづみのきみ麻呂 at 15:33Comments(0)時事批評

2017年06月19日

今、我が心象風景




◆60年も前、中学生の頃の女ともだちで、

当時、同期の男子の憧れのマドンナだった人から~

同郷の安倍首相の政治についての思いを寄せてくれた。

私は白か黒かハッキリさせないと、

気が済まない者には、このグレー色の論は

スッキリとはいかないものだが、

こういう想いを抱く人も居るのも有りかな、

と思った!

~まあ、お聞きくだされ!~




▼返信送れてすいません。難しいわね。

共謀罪も成立しましたが、これからの世の中に

どう反映してくるか全く見当がつきません。

その前に中身が分からない。

何事もそうだけれど100%分かった上での、

国民の理解を得た上でと言っても、

国民の大半はよく分からないのが現実。

私もその一人です。

▼私が18歳の時起きた安保騒動。

学生が立ち上がり死者まで出した反対運動でしたが、

それからの50年後の今を生きていると、

あの安保成立が成立したからこそ、

今の日本があるようにおもわれます。

私には別の今の日本は想像できないのです。

安保の反対運動の凄まじさを知っているから、

反対を押し切って安保が成立し今がある現実を知っているだけに、

信念をもって反対した学生達は本当に、現実に未来の日本を

知り得ていたかなと常に疑問が生じてます。

当時政治のことは無関心の地方の18才でしたが、

デモの凄まじい光景を見たせいか?

一種のトラウマになって残ってます。

▼憲法改正、共謀罪など今回もそうです。

これから先変化する日本が想像できないのです。

理想を掲げて現実に対処する。これは分かる。

ですが理想に合わないからと全てに反対するのは理解できない。

我々は現実の世界に生きてます。理想を忘れてはいけない。

理想の世界に近づけるように努力し目標を持つ。

これも十分分かッ定ます。

▼理想とはなんぞや。

理想にも可能な理想と不可能な理想がある。

各人の理想は違う。

まして世界の理想も、地球に存在する国々の理想は明確に違う。

日本の理想とはなんぞや。

このグローバルな時代の中での理想。

可能な限りの理想を求めて動くべきだと思うけれど、

世界は変わり続けその速さの中で

不変の日本の理想があるのかないのか想像できません。

▼話は変わりますが、友人の韓国人にも中国語の先生も言います。

日本は何事においても決断も決定も遅い、と。

民主国家は仕方がないと思うけれど、これは当たっている。

世界の変化にどう対処するかスピードも大事なことです。

決定決断の手順の悪さは

1年ごとに首相が代わり不安定さに輪をかけて

より遅く引き延ばされた感があります。

そういう意味で安定した阿倍政権は評価できる。

安定政権になれば横暴になるとの評価もあるけれど、

いい意味で世界のリーダーと肩を並べられる首相になっている。

▼話はまた変わりますが、日本の居心地の良さのひとつに

灰色の世界があるということです。

あうんの関係だったり、自然とおもんばかってことを進める。

政治の政界は御法度だけれど、

我々の一般人の生活の中ではそれが思いやり、

日本独特のサービス精神になったりしていて、

一度このこ空気を知ってしまうと心地よくなる。

日本在の外国のかたはこのことはよく知ってます。

▼情報公開は風通し良く、誰もが分かるようにすること。

当然のことですが、みんなすけすけで世の中成り立つの?

―と言う疑問も私にはあります。

人それぞれの分かる範囲で判断をすることが

できる程度でいいかなと思う。

忖度は不平等を生みますが、

それしかつっこむことができない野党のだらしなさは

目に余ります。

私は自民党応援者ではないのですが、

国会が裁判所じみている。

政策論争をする所じゃないの?と辟易してます。

安倍政権の一連のことは

なかなかどれが悪くてどれがいいと

正直私には分かりません。

将来どれが良くどれが悪いか善し悪しのイメージも

つきわきかねてます

▼70数カ国を旅した私の本音は

日本ほどいい国はない。

安全で安心させてくれる国民性。

そこそこ豊かで、地震は多発するが、

何しろ腐葉土でできているような緑豊かな島、

水に恵まれなんと良い自然の中に

暮らしているのかと実感してます。

どこの国もこうはいかない。

自然も乏しく気候は悪く、複雑な人種の構成は問題発生の種、

陸続きは常に攻防絶えず、今更ながら島国の良さを実感してます。

▼でも現実は変化し、

平和を保つ海はその存在価値を変えています。

一瞬にして世界の現状が変わることは

想像できる世界になってきました。

その現実を島国の理想だけの価値判断で

とらえる危なかしさを70年前のの憲法で

対処できるかどうかかなり疑問が残ります。

☞疑問符だらけの私の返信で申し訳ありません。

どうにも善し悪しの判断がつかないのです。

またね。元気でね。高齢者も考えようね。

     由 子
  

Posted by あづみのきみ麻呂 at 17:47Comments(0)ざれ言!?