バレンタインデーの日に

あづみのきみ麻呂

2016年02月14日 11:40



◆バレンタインデーの2月14日は?
 ~私の母の命日でもあります~
所謂、恥かきっ子(末っ子)だた私にはマザコンのような
一時も離れておれないくらい大好きな " かあちゃん ”だった!

★命日の記念に「母・ミヤ」に奉げるエッセー:
  ―『バレンタインデーの日に』―  
 ~再録ですが紹介させてください~
     
―2月14日はバレンタインデー!
この日は私の母の命日です。
1900年生まれの母は 92歳で亡くなりました。
この日が来ると亡くなった母<かあちゃん>のことを思い出すのです。
再録ですが聴いてください!

☆わたしの母ちゃんは明治33(1900)、
長崎市街の浦上というカトリック信者の多い所で生まれた。
けいけんな?クリスチャンだった。
しかし、神は非情にも、母ちゃんの親兄弟のほとんどを
原爆で奪ってしまった。



☆わたしは母ちゃんが42歳の時の子で、
兄姉とは9~12歳も年が離れている。 
どうやら間違えて出来た、いわゆる恥かきっ子らしい。
だから、物心ついた頃には、母ちゃんは婆ちゃんのようだった。
よく、「お前は橋の下で、みかん箱の中に入れて捨てられいたのを
拾ってきたったい」と言って私をからかった。

☆生めよ増やせよの軍国時代だったから生んだ子が男3、女3の6人。
その中、二人は私が生まれる前に亡くなっていた。
親兄弟から自分の子どもの死まで看取って戦前・戦後を生き抜いた母ちゃん。
悲しかっただろうなあ~と、今、親となってみて分かる。

☆ 体は坂道ならゴロゴロと転がり落ちそうなデブッチョで、
オッパイはでかいヘチマのようだった。
銭湯の帰り道、辺りかまわず「屁」を垂れる、
その音のすごさに、驚いてたじろぐ私に―
「なんもビックリするこちゃなか」と、
涼しい顔していた。
  畑仕事で、重い「肥え桶」を抱えてころんで、
悪くした足を引きずって家路についた日のことなどが懐かしい。



☆母ちゃんとはいつも一緒だった。寝るのも同じ床だったし、
小・五まで銭湯では母ちゃんと女湯に入っていた。
ある日、同じ組の女の子とバッタリ。
途端に恥ずかしくなって、
男湯に逃げ込んで以来、女湯には入ることはなかった。
男に目覚めた記念の日としておこう。

☆その母ちゃんは、平成4(92)年の―
2月14日のバレンタインデーの日に92歳で、 天国に召されて逝った。
今年<平成27年>は亡くなって23年が経過したが、
一周忌の時、甥っ子の結婚式の方を選んだのが チョット心残りになっている。
▲追記だが、その甥っ子も十数年前に逝ってしまった。
奥さんと子どもを残して・・・、早死にだった。





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