2015年04月04日
我が友・中村佑の旅紀行:第20回
◆『よそ見わき見気まま旅』by我が友・中村 佑作!
~第20回:「姥捨 長楽寺」~
【註】中村 佑君は我が故郷の竹馬の友。
中学校~高校<演劇部を立ち上げた>まで一緒でした。
成人後、下関で新劇の劇団で一緒でした。
**************************
JR篠ノ井線の姨捨駅の標高が551m。
それより少し下がった所が長楽寺です。
境内には観音堂と月見堂の二つのお堂が有ります。
芭蕉の面影塚や沢山の俳人の句碑も建っています。
遠く山裾に広がるのは、川中島の古戦場です。
絶景地に建つ寺ですが、車の無い昔、
徒歩で上るのは一苦労だった筈です。
畑仕事の手を止めて相手をしてくれた男性の話に依ると―
「昔は姨捨側と更級側に二つのお堂があり、旅人がよく使っていた。
お堂に泊まる旅人を見かけると、
村の百姓はおにぎりなどの差し入れをして
旅人を慰めた。
芭蕉は更級日記を書いたから、更級側のお堂に休んだに違いない。」
と聞かせてくれました。
菊舎は、梅雨末期の大雨に苦しめられながら善光寺に辿り着きましたが、
姨捨山でも大変な雨に降り込められました。
日暮れて、先へ進むことさえままならない時に
見つけたのが古びたお堂でした。
ぐしょ濡れの身体で一夜を明かしたお堂は何処にあったのでしょう。
(中村 佑) 2015年4月3日
~第20回:「姥捨 長楽寺」~
【註】中村 佑君は我が故郷の竹馬の友。
中学校~高校<演劇部を立ち上げた>まで一緒でした。
成人後、下関で新劇の劇団で一緒でした。
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JR篠ノ井線の姨捨駅の標高が551m。
それより少し下がった所が長楽寺です。
境内には観音堂と月見堂の二つのお堂が有ります。
芭蕉の面影塚や沢山の俳人の句碑も建っています。
遠く山裾に広がるのは、川中島の古戦場です。
絶景地に建つ寺ですが、車の無い昔、
徒歩で上るのは一苦労だった筈です。
畑仕事の手を止めて相手をしてくれた男性の話に依ると―
「昔は姨捨側と更級側に二つのお堂があり、旅人がよく使っていた。
お堂に泊まる旅人を見かけると、
村の百姓はおにぎりなどの差し入れをして
旅人を慰めた。
芭蕉は更級日記を書いたから、更級側のお堂に休んだに違いない。」
と聞かせてくれました。
菊舎は、梅雨末期の大雨に苦しめられながら善光寺に辿り着きましたが、
姨捨山でも大変な雨に降り込められました。
日暮れて、先へ進むことさえままならない時に
見つけたのが古びたお堂でした。
ぐしょ濡れの身体で一夜を明かしたお堂は何処にあったのでしょう。
(中村 佑) 2015年4月3日
Posted by あづみのきみ麻呂 at 15:50│Comments(0)
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