2016年07月26日
高校野球こぼれ話「兵どもの夢の跡」
中信の高校野球こぼれ話??
―『兵どもの夢の跡』―
~あれから15年も経ってしまった~
2000年に安曇野に移り住んだ一年後の
2001年6月、就職した私立・塚原青雲高校でー、
※(▲現・創造学園)
いきなり野球部が83回・高校野球大会で優勝!
全校生徒110人、たった17人の硬式野球部だった。
少年野球の指導者として長年関わったことを買われて
副部長で甲子園に選手団に帯同することになった。
▼甲子園生活17日間、ベスト16で松本に凱旋してきた。
栄光の甲子園出場が終わると、糸の切れたような選手たちが
寝泊りする寄宿舎「大村寮」の寮監を命ぜられた。
ーここは、先代の塚原善兵衛校長(理事長)が多角経営策で
建てられたという観光旅館址だった。
最上階に天守閣を頂いた閉鎖旅館を寮にしたまさに、
幽霊館のような施設で~、明くる年の3月までの7ヶ月間、
ほとんど休みのない泊り業務をやらされた。
▼過酷な業務だったがー、
寮生との思い出がいっぱい詰まった大村寮。
昨日、決勝戦が終わった後、ふと思いついて球場の南側へ
車を走らせてみた。
跡地には当時の塚原嘉代子校長が独り住んでいたが・・・、
建物・敷地共に国有地とされたはずだが、そのままの姿で
残っていた!
あれから15年も経ってしまったんだなとしみじみとして
しばらく立ち尽くしていた!
―『兵どもの夢の跡』―
~あれから15年も経ってしまった~
2000年に安曇野に移り住んだ一年後の
2001年6月、就職した私立・塚原青雲高校でー、
※(▲現・創造学園)
いきなり野球部が83回・高校野球大会で優勝!
全校生徒110人、たった17人の硬式野球部だった。
少年野球の指導者として長年関わったことを買われて
副部長で甲子園に選手団に帯同することになった。
▼甲子園生活17日間、ベスト16で松本に凱旋してきた。
栄光の甲子園出場が終わると、糸の切れたような選手たちが
寝泊りする寄宿舎「大村寮」の寮監を命ぜられた。
ーここは、先代の塚原善兵衛校長(理事長)が多角経営策で
建てられたという観光旅館址だった。
最上階に天守閣を頂いた閉鎖旅館を寮にしたまさに、
幽霊館のような施設で~、明くる年の3月までの7ヶ月間、
ほとんど休みのない泊り業務をやらされた。
▼過酷な業務だったがー、
寮生との思い出がいっぱい詰まった大村寮。
昨日、決勝戦が終わった後、ふと思いついて球場の南側へ
車を走らせてみた。
跡地には当時の塚原嘉代子校長が独り住んでいたが・・・、
建物・敷地共に国有地とされたはずだが、そのままの姿で
残っていた!
あれから15年も経ってしまったんだなとしみじみとして
しばらく立ち尽くしていた!
Posted by あづみのきみ麻呂 at 11:26│Comments(0)
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