2017年02月14日

聖バレンタインデーの日に・・・

聖バレンタインデーの日に・・・



#聖バレンタインデーの日に・・・

☆わたしの母ちゃんは明治33(1900)年、
長崎市街の浦上というカトリック信者の多い所で生まれた、
敬虔(けいけん)な?クリスチャンだった。
しかし、神は非情にも、母ちゃんの親兄弟のほとんどを
原爆で奪ってしまった。

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☆わたしは、母ちゃんが42歳の時の子で、
兄姉とは9~12歳も年が離れている。 
どうやら間違えて出来た、いわゆる恥かきっ子らしい。
だから、物心ついた頃には、母ちゃんは婆ちゃんのようだった。
よく、「お前は橋の下で、みかん箱の中に入れて
捨てられいたのを拾ってきたったい」と言って私をからかった。

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☆生めよ増やせよの軍国時代だったから
生んだ子が男3、女3の6人。
その中、二人は私が生まれる前に亡くなっていた。
親兄弟から自分の子どもの死まで看取って戦前・戦後を
生き抜いた母ちゃん。

☆悲しかっただろうなあ~と、今、親となってみて分かる。
体は坂道ならゴロゴロと転がり落ちそうなデブッチョで、
オッパイはでかいヘチマのようだった。
銭湯の帰り道、辺りかまわず「屁」を垂れる、
その音のすごさに、驚いてたじろぐ私に―
「なんもビックリするこちゃなか」と、
涼しい顔していた。

畑仕事で、重い「肥え桶」を抱えてころんで、
悪くした足を引きずって家路についた日のこと
などが懐かしい。

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☆母ちゃんとはいつも一緒だった。寝るのも同じ床だったし、
小・五まで銭湯では母ちゃんと女湯に入っていた。
ある日、同じ組の女の子とバッタリ。
途端に恥ずかしくなって、
男湯に逃げ込んで以来、女湯には入ることはなかった。
男に目覚めた記念の日としておこう。

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聖バレンタインデーの日に・・・



☆その母ちゃんは、平成4(92)年の―
2月14日のバレンタインデーの日に92歳で、
天国に召されて逝った。
今年<平成26年>は亡くなって22年が経過したが、
一周忌の時、甥っ子の結婚式の方を選んだのが
チョット心残りになっている。
▲追記だが、その甥っ子も十数年前に逝ってしまった。
奥さんと子どもを残して・・・、早死にだった。




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Posted by あづみのきみ麻呂 at 16:25│Comments(0)思い出噺
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