2016年09月09日
中村佑の文学旅紀行「よそ見わき見気まま旅」
▲三井寺「教待堂▲
故郷の竹馬の友・中村佑君の文学旅紀行:
ーよそ見わき見気まま旅〔第37回・中山道(大津)〕ー
http://kikusha.com/kimama37.htm
◆京を後にした(※)菊舎は、大津の打出から舟に揺られ
(※)▲田上菊舎(江戸時代の女流文学者で、下関出身)
石山寺にかかる月を眺めながら三井晩鐘に耳を傾けました。
この時6月。中秋であれば、と些かな不足はあったかも
知れませんが、いちどきに近江八景の二景を試みています。
その三井晩鐘は、音の美しさから環境庁によりー
「残したい日本の音風景100選」に選ばれています。
だけど、実は400円を払えば誰でも撞くことが出来るのです。
列を作った観光客が次々に鐘を打ち鳴らせば、
折角の音風景100選も、静かな境内を騒がす耐え難い騒音で
しかなくなってしまいます。
観光客の多くは、金堂や晩鐘にばかり目が行ってしまい、
殆どの人が一顧だにせず通り過ぎてしまうお堂が三井寺に
あります。教待堂といいます。
三井寺が今日のような大寺院になったのは円珍の力だと
いわれていますが、円珍の出現までは教待和尚が寺を
護持していました。
堂の前の、文字が半分消えかかった説明板にはー
「それまで寺を護持していた不思議な老僧教待和尚は、
円珍を迎えると共に石窟に姿を隠した。」というような事が
書かれています。
後に円珍は石窟の上に一宇を設け、
教待和尚の廟としました。以来、三井寺で僧が出家する
際の落髪は、この石窟に収める慣わしになっているのだとか。
(中村 佑) 2016年9月5日
ーよそ見わき見気まま旅〔第37回・中山道(大津)〕ー
http://kikusha.com/kimama37.htm
◆京を後にした(※)菊舎は、大津の打出から舟に揺られ
(※)▲田上菊舎(江戸時代の女流文学者で、下関出身)
石山寺にかかる月を眺めながら三井晩鐘に耳を傾けました。
この時6月。中秋であれば、と些かな不足はあったかも
知れませんが、いちどきに近江八景の二景を試みています。
その三井晩鐘は、音の美しさから環境庁によりー
「残したい日本の音風景100選」に選ばれています。
だけど、実は400円を払えば誰でも撞くことが出来るのです。
列を作った観光客が次々に鐘を打ち鳴らせば、
折角の音風景100選も、静かな境内を騒がす耐え難い騒音で
しかなくなってしまいます。
観光客の多くは、金堂や晩鐘にばかり目が行ってしまい、
殆どの人が一顧だにせず通り過ぎてしまうお堂が三井寺に
あります。教待堂といいます。
三井寺が今日のような大寺院になったのは円珍の力だと
いわれていますが、円珍の出現までは教待和尚が寺を
護持していました。
堂の前の、文字が半分消えかかった説明板にはー
「それまで寺を護持していた不思議な老僧教待和尚は、
円珍を迎えると共に石窟に姿を隠した。」というような事が
書かれています。
後に円珍は石窟の上に一宇を設け、
教待和尚の廟としました。以来、三井寺で僧が出家する
際の落髪は、この石窟に収める慣わしになっているのだとか。
(中村 佑) 2016年9月5日
Posted by あづみのきみ麻呂 at 17:22│Comments(0)
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