2015年05月04日
よそ見わき見気まま旅第21回「野尻」
◆『よそ見わき見気まま旅』第21回【野尻】:
~故郷・下関の―親友・中村佑君の田上菊舎顕彰旅紀行~
▼URL:
http://kikusha.com/kimama21.html
****************************
江戸に向かうのが目的であれば、姨捨からだと北国街道を南下し、
追分から中山道を東進すると近いのですが、
菊舎は、もと来た道を日本海側まで引き返しました。
という事は、善光寺や姨捨は、本来思い描いていた道順からは
寄り道だったようです。
添え書きを届けるのも、寄り道の大きな理由の一つだったのでしょう。
直江津方面に引き返す途中、小林一茶の故郷柏原を過ぎると
野尻です。
避暑地として知られる野尻湖は、ナウマン象の化石が出土することも
良く知られています。
この宿場に、今は無人の安養寺というお寺があります。
自伝小説「銀の匙」を書いた中勘助が暫く仮住まいをしていた寺だ、
と説明がありました。
1718年中興とありますが、本堂は閉じられたまま。
再び衰退の道を辿っている姿は侘しげです。
少し離れて芭蕉の句碑が立っています。
「うめが香にのっと日の出る山路かな」と刻まれています。
芭蕉の130回忌に建てたものだそうです。
はて?刻まれたこの句、身近などこかで見覚えがあるぞ。
確かめてたところ、そう、菊舎の生誕地、田耕にも同じ句が
刻まれた碑がありました。
こちらは美濃派九世山本友左坊が、菊舎ゆかりのお寺、妙久寺を
訪れた際に揮毫したものと説明板にあります。
芭蕉の句なので、アチコチに同じ句が刻まれた碑があったとしても
頷けますが、 菊舎の故郷とつながったのはちょっとした感動でした。
(中村 佑) 2015年5月1日
~故郷・下関の―親友・中村佑君の田上菊舎顕彰旅紀行~
▼URL:
http://kikusha.com/kimama21.html
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江戸に向かうのが目的であれば、姨捨からだと北国街道を南下し、
追分から中山道を東進すると近いのですが、
菊舎は、もと来た道を日本海側まで引き返しました。
という事は、善光寺や姨捨は、本来思い描いていた道順からは
寄り道だったようです。
添え書きを届けるのも、寄り道の大きな理由の一つだったのでしょう。
直江津方面に引き返す途中、小林一茶の故郷柏原を過ぎると
野尻です。
避暑地として知られる野尻湖は、ナウマン象の化石が出土することも
良く知られています。
この宿場に、今は無人の安養寺というお寺があります。
自伝小説「銀の匙」を書いた中勘助が暫く仮住まいをしていた寺だ、
と説明がありました。
1718年中興とありますが、本堂は閉じられたまま。
再び衰退の道を辿っている姿は侘しげです。
少し離れて芭蕉の句碑が立っています。
「うめが香にのっと日の出る山路かな」と刻まれています。
芭蕉の130回忌に建てたものだそうです。
はて?刻まれたこの句、身近などこかで見覚えがあるぞ。
確かめてたところ、そう、菊舎の生誕地、田耕にも同じ句が
刻まれた碑がありました。
こちらは美濃派九世山本友左坊が、菊舎ゆかりのお寺、妙久寺を
訪れた際に揮毫したものと説明板にあります。
芭蕉の句なので、アチコチに同じ句が刻まれた碑があったとしても
頷けますが、 菊舎の故郷とつながったのはちょっとした感動でした。
(中村 佑) 2015年5月1日
よそ見わき見気まま旅―最終回―ただならぬ山
よそ見わき見気まま旅―45回「諏訪湖」―
中村佑旅紀行「よそ見わき見気まま旅・第45回」:
よそ見わき見気まま旅―第44回「中山道・下諏訪」―
よそ見わき見気まま旅―第42回―「中山道(妻籠)」
よそ見わき見気まま旅―第40回―
よそ見わき見気まま旅―45回「諏訪湖」―
中村佑旅紀行「よそ見わき見気まま旅・第45回」:
よそ見わき見気まま旅―第44回「中山道・下諏訪」―
よそ見わき見気まま旅―第42回―「中山道(妻籠)」
よそ見わき見気まま旅―第40回―
Posted by あづみのきみ麻呂 at 16:40│Comments(0)
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