2015年06月02日
『よそ見わき見気まま旅』by友の中村佑
◆故郷・下関の友―中村佑君の「よそ見わき見気まま旅」!
~第22回:越後下関~
http://kikusha.com/kimama22.html
▼菊舎の生誕地は下関市豊北町田耕です。
その菊舎、越後の下関を訪ねました。
お世話になったお宅が、近在きっての豪農渡邊家でした。
6代目善富、俳号李郷の時代です。
残された資料に依ると、渡邊家のこの頃の貸付金が6万両以上。
現在の金額に置き換えるとおよそ70~80億円になるようです。
全財産ではなく、藩や幕府に貸している金額ですから、
その富の大きさに驚かされます。
米沢街道沿いに残る建物は国指定の重要文化財です。
現在の建物は、菊舎がお世話になって35年後に再建されたものです。
意外に思うのは、巨万の富を有する渡邊家の屋根が板瓦であることです。
重しに、丸みを帯びた拳より大き目の石が敷き詰められています。
苗字帯刀を許されていたとは言え、
矢張り武家に対する遠慮があったのでしょうか。
雪降ろしの邪魔になりませんか、と尋ねますと
石の上っ面までを降ろします、と教えられました。
(中村 佑) 2015年6月1日
~第22回:越後下関~
http://kikusha.com/kimama22.html
▼菊舎の生誕地は下関市豊北町田耕です。
その菊舎、越後の下関を訪ねました。
お世話になったお宅が、近在きっての豪農渡邊家でした。
6代目善富、俳号李郷の時代です。
残された資料に依ると、渡邊家のこの頃の貸付金が6万両以上。
現在の金額に置き換えるとおよそ70~80億円になるようです。
全財産ではなく、藩や幕府に貸している金額ですから、
その富の大きさに驚かされます。
米沢街道沿いに残る建物は国指定の重要文化財です。
現在の建物は、菊舎がお世話になって35年後に再建されたものです。
意外に思うのは、巨万の富を有する渡邊家の屋根が板瓦であることです。
重しに、丸みを帯びた拳より大き目の石が敷き詰められています。
苗字帯刀を許されていたとは言え、
矢張り武家に対する遠慮があったのでしょうか。
雪降ろしの邪魔になりませんか、と尋ねますと
石の上っ面までを降ろします、と教えられました。
(中村 佑) 2015年6月1日
よそ見わき見気まま旅―最終回―ただならぬ山
よそ見わき見気まま旅―45回「諏訪湖」―
中村佑旅紀行「よそ見わき見気まま旅・第45回」:
よそ見わき見気まま旅―第44回「中山道・下諏訪」―
よそ見わき見気まま旅―第42回―「中山道(妻籠)」
よそ見わき見気まま旅―第40回―
よそ見わき見気まま旅―45回「諏訪湖」―
中村佑旅紀行「よそ見わき見気まま旅・第45回」:
よそ見わき見気まま旅―第44回「中山道・下諏訪」―
よそ見わき見気まま旅―第42回―「中山道(妻籠)」
よそ見わき見気まま旅―第40回―
Posted by あづみのきみ麻呂 at 15:41│Comments(0)
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